
インスタントカメラを知り尽くしているチェキカメラマン・米原康正(よねはらやすまさ)さんです。
よく知らないという方もいるかと思いますので、この記事では、米原康正さんについて、
米原康正のプロフィール
米原康正の経歴は?
フォトグラファーの仕事内容は?
の話題をご紹介します。
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米原康正のプロフィール
出典:http://www.asobipress.jp/artist/artist.php?id=mLAZ1Vix
米原康正さんは、熊本県出身で、世界で唯一と言われるチェキをメインとした写真を撮るフォトグラファーです。
これまで雑誌の創刊に関わるなどの活動後、中国を中心に、原宿、渋谷の女子などのジャパニーズ・カルチャーを発信し続けている編集者であり、クリエイティブディレクター、DJとしても、幅広く活躍しています。
現在、米原康正さんの中国語圏最大のSNS「Weibo(ウェイボー)」のフォロワー数は、235万人を超えています。
米原康正さんの学歴は不明です。
米原康正の経歴は?
出典:https://matome.naver.jp/odai/2142405319426909901?page=2
米原康正さんは、地元・熊本県から上京して、1979年には、出版関係の仕事をしていたそうです。
そんな米原康正さんは、1995年に原宿で事務所を立ち上げるとともに、ギャル系雑誌『egg(エッグ)』の創刊に関わりました。
この雑誌は、渋谷の女子高生などの渋谷女子に焦点を当て、ギャルブームを巻き起こすきっかけとなりました。
2000年代に入ると、2000年8月に創刊され、大人気だった女性ファッション誌『mini(ミニ)』を見ていて、「セクシーさ」が足りないと感じていた米原康正さんは、『smart girls(スマート・ガールズ)』という写真集を出版しています。
その後、米原康正さんが注目したのが、ファッションブランド「A BATHING APE」(ア・ベイシング・エイプ)を立ち上げたことで知られているファッションデザイナー・NIGO(ニゴー)さんをはじめとした「裏原」(裏原宿系ファッション)でした。
米原康正さんは、1997年から『アウフォト』という雑誌を作っていたそうなのですが、この雑誌を通じて、香港の文化人などと知り合い、「裏原」が香港、台湾など中国語圏を中心に海外で受け入れらていることを知ったそうです。
2006年頃から、大人たちの商業主義によって、原宿は変わりはじめたと感じていた米原康正さんは、日本のカルチャーを忘れかけている日本人ではなく、日本文化に興味のある中国語圏をはじめとした海外に、日本の良さを伝えていこうと思ったのだそうです。
日本文化を海外に伝えるのに、日本の女子を紹介するのが、一番わかりやすいと米原康正さんは語っています。
そして、米原康正さんがやっていたのが、藤井リナさんやほしのあきさんなど、中国語圏で人気が出そうな女の子を紹介することでした。
米原康正さんにとって、大きな転機になったのが、台湾の雑誌に蒼井そらさんを載せて、上海のイベントにも登場させることによって、蒼井そらさんの人気に火が付いたことでした。
蒼井そらさんは、この頃から「Weibo」を始めており、1年後に、そのことを聞いた米原康正さんも、「Weibo」を始めたのです。
「Weibo」において、日本の女の子の写真だけでなく、中国の女の子を紹介するなど、積極的に情報発信を行ってきた結果、米原康正さんのフォロワー数は、235万人を超えるまでになっています。
日本人男性のフォロワー数では、米原康正さんは第4位となっており、中国語圏での知名度は、かなり高くなっています。
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フォトグラファーの仕事内容は?
出典:http://mispro.asia/yonehara/index.php
米原康正さんには、編集者、フォトグラファー、クリエイティブディレクター、DJなど多くの肩書きがありますが、米原康正自身は、編集者と思って、仕事をしているそうです。
その理由としては、すべての肩書きで、編集が必要だからだそうです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
この記事では、米原康正さんの
米原康正のプロフィール
米原康正の経歴は?
フォトグラファーの仕事内容は?
についての話題をご紹介しました。
米原康正さんの「Weibo」のフォロワーが、235万人もいるということに驚かれた方が多いのではないでしょうか。
やっぱり、中国は人口が多いので、影響力が大きいですよね。
これを機に、中国の「Wiebo」にも注目してほしいと思います。
米原康正さんの今後更なるご活躍を期待しています。
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