
大城バネサさんはアルゼンチン出身の日系アルゼンチン人2世で、日本で歌手として活動されています。
祖父母が沖縄県出身の緑で、幼少期から沖縄民謡や日本の歌に触れて、日系人で開催されるカラオケ大会で優勝もしています。
そんな大城バネサさんの壮絶な経歴や、現在経営している喫茶店についても調べて行きたいと思います。
スポンサードリンク
デビューのきっかけは?
http://rockfield.main.jp/vane/wp-content/uploads/2015/03/DSC00024-300×245-1.jpg
日本の演歌が大好きで幼少期から歌っていた大城バネサさんは、デビューのきっかけも自らの実力で勝ち取っています。
母国アルゼンチンでNHKのど自慢が開催されるのを知り、坂本冬美さんと鳥羽一郎さんがゲストで来るのを知り、二人に会いたい一心でのど自慢に応募しています。
のど自慢の本戦で見事優勝を飾った大城バネサさんは、坂本冬美さんに同行していた音楽事務所にスカウトされてプロの道に進んでいます。
NHKのど自慢の年間チャンピョンを決めるグランド大会に出場し、演歌を歌って優勝していますから日本人以上に演歌を愛する気持ちが伝わってきますね。
当時の大城バネサさんは日本語をあまり話せませんでしたが、日本語の勉強とボイストレーニングを重ねて、歌声に一層の深みが増した感じがしましたね。
スポンサードリンク
過去の経歴が壮絶だった?
http://www.nikkeyshimbun.jp/wp-content/uploads/2016/09/160830-oshiro-ogura-600×642.jpg
プロの歌手としてデビューした大城バネサさんは、順風満帆な歌手活動かと思いきや現在に至るまでには壮絶な過去がありました。
いくら歌がうまくても売れなければ意味がないプロの世界で、大城バネサさんは7枚目のCDシングル「火の酒よ」をリリースした時に売り上げノルマを課せられています。
4ヶ月で「火の酒よ」のCDを2万枚売らないと再契約しないということを伝えられ、大城バネサさんはCDショップや夜のスナックでPR活動を積極的にしてますね。
このとき契約していた事務所からは、2LDKの住まいを与えられていましたが、再契約できないと住まいも無くなってしまう重圧が常に頭にあったそうです。
必死のPR活動でしたが歌いすぎで喉から出血しても歌い続けましたが、目標の2万枚には及ばず再契約は叶いませんでした。
大城バネサさんの両親もアルゼンチンから来日していたので、ホームレス寸前まで追い込まれましたが、現在の事務所社長の青山るみさんが声を掛けて再出発しています。
それまでは東京を拠点に活動していましたが、青山るみ社長の事務所がある岐阜県へ活動拠点を移しています。
喫茶店の名前や場所は?
http://vane-music.com/wp-content/uploads/2016/01/tennai740-1.jpg
九死に一生を得た大城バネサさんは、青山るみ社長のサポートをうけて喫茶店を岐阜県に開店していますね。
お店の名前はカフェテリアバネサで、大城バネサさんもお店で働いていることもあり、お洒落でスッキリした内装がいい感じでしたね。
カフェテリアバネサは店内でライブを行ってもいますので、美味しい料理とコーヒーを片手に素敵な歌声を聴くのもオススメです。
喫茶店を始めたのは大城バネサさんが、とあるお店で飲んだコーヒーの味に感激して、美味しいコーヒーを提供したいという思いが芽生え、2ヶ月半本番ブラジルに渡りバリスタの資格を取得して開店した経緯がありました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
大城バネサさんのファンならずとも、一度は足を運んで損はないお店だと思いますので、岐阜県に行った際には立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
スポンサードリンク
あわせて読みたい記事
スポンサードリンク